2014年3月12日水曜日

ボートでトラック環礁内散歩♪

もうすぐチューク生活が終わる
やり残したことはないかい?
(♪かりゆし●●の『オワリはじまり』より。)
 
と考えたとき。
(注:私的です)
 
★ボートに乗りたいなぁ★
と真っ先に思いました。
 
『ボートの振動を感じ
風を浴び 環礁内を走る爽快感 そして
なんとも言えないウキウキ感』
 
チュークに来て初めてボートに乗ったのは
忘れもしない2012年3月31日、チュークに赴任して わずか3日後の事でした。
 
その時はどんな服装で行けばよいのやら
どう座ればよいのやら
今どこにいるのやら
何が何だか状態だったけど
 
でも、楽しかったのは覚えています。
 
それから2年。
何度ボートに乗っただろう。
 
さぁ、
ラストボート@チューク
 
うん♡
ボート日和♡
 
おでかけ♪ おでかけ♪
 
【出発は桟橋】
ボートの出発場所はトラックストップが基本(私の場合)
ここから色々な島へ行きました~

【愛車 もとい 愛ボート】
現地人が利用するボート。
ダイバー用よりももちろん振動もすごいけど、
私は海を感じることのできるこちらのボートがお気に入り。
ちなみに私がよく使っていたボートはこれよりもう一回り小さいやつ。

 

【さぁ出発!】
290以上の島々からなるチューク州。
トラック環礁内だけでも100以上もの大小の島々が点在。
 

【海から見るウエノ島】 
私の住む島(メイン島) 
写真の山は(トナッチャウ)
タコが固まってできたという伝説を持っています。
うーん 納得‼!

【海から見るBLR】
ウエノ島の最南端に位置するブルーラグーンリゾート。
日本人に最も人気のホテルです。
海から見てもやしの木がきれいですねぇ~

【海から見るトノアス(夏島)】
日本統治時代、日本軍司令部が置かれていた当時のメイン島。
当時「トノアス富士」と呼ばれた山をみては
軍人さん達が日本に思いを馳せていたことでしょう。

【メチェン】
海の中に突如浮かぶヤシの葉1本。
これは「メチェン」と呼ばれる印。
「土地の所有者が亡くなりました」ということを意味するこの印。
これがあるとこでは
★漁は禁止
★島に上陸禁止
★通過禁止
など様々な禁止事項が存在します。
きっとこれは乱獲を防ぎ、
食物を大切にする昔の知恵だったのでしょう。
今でも続く伝統です。
 

【ポツリと浮かぶ島】
これは・・・・
オローラ島ですね(BLR所有:宿泊施設あり)

【どうですかこの景色】
最高でしょ♡ 
・・・・テンションあがって太陽と海を感じていたら・・・・
お肌が大変なことになっていたのは言うまでもありません。
2年もここにいて、
学習能力ゼロ・・・。
というより油断カナ(笑)
というのは後日話。

ヒリヒリ(*_*)

 
【波だ!!】
神奈川県とほぼ同じ大きさのトラック環礁の「淵(?)」まできましたー。
遠くの波が見えますかー?!
環礁上に立つとこれまた不思議な感じなんですよ。
詳細は「ピサール島」について書いてあるブログをご参照ください♪ 
『波』を見ると
「あぁ。太平洋にいるんだなぁ」と思い出します。
それぐらい環礁内は穏やかなんです。
まさに”太平洋の湖”ですね♪
 

【(*^。^*)】
調子にのりました・・・。
うふ♡
(走行中はびびりでたてず。止めてもらってやっとの事。っていうのはここだけの話)

【Uターン♪】
さぁ、くるっとUターン。
ウエノ島まで戻ります♪
遠くの島々見えますか♡

【到着】
いつもの桟橋も海から眺めると違った感んじ。
この桟橋にも本当にお世話になりました(*^。^*)

【今回のお散歩】
こんなルートでした♪

最高のボート日和♡

 
海 空 風 チュークを全身に感じることが出来たひと時でした。

本当に気持ちよかった。

きっと私はこの快感が懐かしくなるに違いない。
幸せだなぁ♡

2014年3月9日日曜日

★Japanese Food Fair★やってみたー!!

☆Japanese Food Fair☆
場所:我が家@チューク
日時:2014年3月7日金曜日 ファミリーナイトの後
※我が家では毎週金曜日 家族で自分の気持ちをシェアする
時間をもうけています。
 
2年間お世話になった家族に「なにかしたいな♡」と考えて
思い立った日本食祭り。
つまるところ週1回の日本食dayの総括といったところですね♪
 
頭を悩ませたのが・・・
「メニュー選択」
 
 
★今までの反応+★現地事情+私の力量⇒精鋭メニュー決定‼!
 
*焼きそば
*カレー
*麻婆豆腐
*お好み焼き
*親子丼
*お稲荷さん
*杏仁豆腐
*フルーチェ(日本から密輸(笑))
 
 
 
という事で
1人実行委員のてんてこ舞いの一日スタート♪
 
【お姫様注意報?!】 
ようこーようこー♡といつも通り引っ付いてくるお姫様。
その目に留まったのは「フルーチェ!」
①牛乳好きのお姫は『牛乳飲みたいー』と大暴れ
②フルーチェがとっても気に入ったお姫は『食べたいー』と大暴れ
③味見では物足りないお姫は冷蔵庫の前に陣取って大暴れ

・・・・いやはや。
実行委員の最大の敵はお姫様。

でも・・・・
最大の癒しでもあります♡

【お姫軍団vs実行委員】
結果⇒惨敗 
たくさん作ったはずのフルーチェは開始時には驚くかずに(笑)
お姫軍団だけでなくモンスター軍団も大量発生していました。

【おっそわけセット♡】
日本食が大好きな同僚におっそわけセット作成。

【お箸セット】
ちょっと日本風をかもし出したいなぁ・・・ということで、お箸入れ作成♪

【ファンシーお箸入れ】
ちびっこと遊ぶ用のシールも使ってみた♪
やはりお姫にはこちらが人気♪

ふふふ。作戦成功(*^。^*)

【♡パティータイム♡】
・・・・あ‼!
『e』が足りない。

【お箸にトライ①】
「みてみてーお箸使えるよー」と披露してくれる次男モイモイ♪

【お箸にトライ②】
お父さんだってできるぞ!!とパパ

【お箸にトライ③】
私だってぇ~!!! と頑張るお姫様。
・・・結果はご想像通り。
すぐにあきらめて得意の(?)「手つかみ」になりました(笑)

【お約束①】
見てみて~ と長男(笑)

【お約束②】
....やっぱりそんなに興味を示してもらえなったお箸入れ。
…わかっていてもちょっとさみしい( 一一)

【お約束③】
チューク流最後の残りは全部まとめて♡ 
…わかっていても…(笑)
家族の笑顔に囲まれて
幸せのひと時でした♡

本当にありがとう(*^。^*)

2014年3月4日火曜日

チュークの『滝』も捨てたもんじゃないですよ♪

ふぅ。
 
ようやく快晴チュークとなりました。
暑い…。
 
でも、これぞチューク。
 
夜扇風機を切って寝るなんて
肌寒くてバスタオルを掛けて寝るなんて
毎日毎日カッパ来て通勤なんて
 
チュークじゃなーーーい!!!
 
という事で、2週間ほど続いた
らしからぬお天気は恵みの雨をたくさん降らせて
去っていきました。
 
さて、チュークでの日々も残りわずか・・・。
やり残している事
行っておきたい場所
いーーーーっぱい あるような
ん・・・・・ないような
 
…。あったーーーーっ!!!
 
という事で、行った事のなかった
『滝』に連れて行ってもらいました♡
 
道中をご覧ください~(^。^)y-.。o○
 
 
【ウェンチェン川】
チュークが誇る(?)ウェンチェン川。
 
【ココ道…ですけど?!】 
主のように道路の真ん中に居座っているお犬様。
 

【アイボリーナッツ】
ポンペイ州でお土産などに利用されているアイボリーナッツ。
まさかチュークで出会えるとは♡

【タロ畑】
ヤップでタロ畑を見てから、タロ畑のファンです♡ 
なにやら癒されます。

【もういっちょ タロ畑】 
うふ♡

【滝‼!!】 
チューク人も「あぁ あれね…」と若干評価の低い滝。
しかーし、見てください 
この大自然に囲まれた滝。意外とやりますよ!!

【滝と子供達】 
これでもかってぐらい楽しそうに遊ぶんですよね♪
子供って。
見ているこっちまで幸せになります♡

【滝壺(?)と子供】 
気持ちよさそぉー♡ 本当は私も…
でも車で連れてきてもらっているので・・・と考えてしまうのが悲しい。
しょぼん。大人になったなぁ・・。

【お決まりのダイブ‼!】 
岩にブツカラナイカナ・・・・。
とハラハラするのは私が大人になってしまった証拠ですね。
ちょっと悲しい(;_:)

【タロ畑と川と橋】 
なにやらよい景色じゃありませんか?!

【サワサップ発見!】 
夕張メロンのように(?)食べごろが難しいさわさっぷ♡
でも何とも言えない触感と甘みがたまりません。
これはまだまだですね!

【パンの実】
たわわになったパンの実。
これがコンになりオポットになり自由自在に形を変える優れもの♡
チューク人の生活に欠かせません!
大雨で雨量が増して通常よりも「滝」っぽかった滝も見れて
散策中には 何故かハマっているタロ畑をはじめ
色々な植物に(たべものに)にも出会えて
『みどり』を感じた時間でした。

海に囲まれて、毎日海を見ながら生活しているから
なーーーーんか山の中を歩くと不思議な気分。
でもとっても心地よい。

川の流れの音に 「ほ」っとした気分になりました♡

※この滝に行くには現地の人の案内が必要になります※

2014年2月21日金曜日

千羽鶴との日々

2014年2月17日
『チューク空襲70年追悼式典』が行われました。
 
常夏チューク(しかも乾季)にしては本当にめずらしく
一日中降り続く雨の中での式典でした。
 
FSM大統領・チューク州知事・在FSM日米両大使のスピーチには
『過去を忘れることなく、悲惨な過去を繰り返すことなく、共に明るい未来を目指していこう』
という願いが込めら、会場全体もその思いに包まれた式典となりました。
 
私は…。
 
 
式典運営準備の段階から
これまでになく『私は日本人』という事を強く意識する日々が続きました。
 
日本がチュークを統治した
日本軍がチュークにいたから攻撃された
多くの日本人が犠牲になった
多くのチューク人も犠牲になった
 
チューク人はどう思っているのだろう・・・・。
 
立場によって
考え方も思いも違う。
 
そして私は日本人。
 
どうにもならない感情がうずめく日々でした。
 
私のJOCVとしての業種も大いに関係しているのだと思います。
私の業種は『観光業』
それは
『国の光を観せること』
そう定義されている本を読んだことがあります。
 
『国の光も時には影も観せること』私はそう考えます。
そして今、まさにここチュークで『影』を見せているのかもしれません。
 
世界中からダイバーが集まる『沈船ダイビング』...。
「亡くなった人への冒涜だ」という意見を耳にするたびに、
胸にツンと突き刺さる物がありました。
 
その一方でこの負の遺産こそがチュークにとっての大きな観光資源であること
この資源をチュークの人々が生きる糧としていること
痛感しています。
そしてその過去に対してさまざまな思いを持っていることも…。 
 
チュークで過ごした2年間に感じた
さまざまな思いが交差する日々でした。
 
ふと、『千羽鶴を折ろう』
そう思いました。
 
私の混ざり合う感情は横に置いて、
 
70年前に亡くなった人々を思い
平和を願い
チュークの未来を思い
千羽鶴を折ることにしました。
 
 
【千羽鶴完成】
 


【千羽鶴に興味津々】
千羽鶴をつなげる作業中…。
どんどん膨らんでいく鶴を楽しげに見つめる
ステイ先のちびっ子

昨日は「ふーってやったらゆれたのにぃ」

【感謝】
「千羽鶴を折ろうと思う」と両親に告げたら「協力するよ!」と。
丁度、現地に送ってもらうものがあり、それが実家に到着するまでの間
両親総出で鶴を折ってくれました。

電気事情がよくなく、ステイ先での作業時間が限られている現地事情を察して
協力してくれる両親。

「お父さんが折るとよれよれの鶴になっちゃうの だから△のところまでがお父さんの担当なの」
「お母さんは 毎日必死に折っているよ。家に帰ったら目をしばしばさせてた。母は強しだね」
両親から届く経過報告のメールにほっこり。
本当に感謝。

【父の鶴】
一羽だけ送られてきた父の力作の鶴。
芸術作品のようにみえるのは、娘のひいき目でしょうか・・・。

【千羽鶴ブーム】
「なにやら陽子がやっている?!?」と
我家に起こった千羽鶴ブーム‼! 
お初にお目にかかる千羽鶴に興味津々 
家族が「SENBAZURU!!!」と口々に唱える日々が続きました。

「今何羽?」「えっとねぇ~・・・」そんな会話がエネルギー源になった日々でした。
折り紙苦手な家族ですが1羽づつ折ってもらいました♡
(苦戦しながらも・・・・‼!)

【式典当日】

【式典当日】


【式典当日】
「70年前の涙かな」と思うほどのどしゃぶりの雨の中、式典を終えました。

 
さまざまな思いが入りまじった日々を終え
ほっとしたような・・・・
抜け殻のように家に帰ったら、

チュークスタイルの「OSHIRUKO」をつくってくれていました。
ココナッツ風味のあま~いヤツ。

【チュークスタイルのおしるこ♡】

なにやら、心からほっとしました。
「OSHIRUKO」と子供たちの笑顔に心の底から安堵し
「我が家」を感じた瞬間でした。 

【ほっこりみんなでおしるこタイム】

考える事が嫌になることもあるけれど
疲れてしまう事もあるけれど
逃げるわけには行かない。

『私は日本人』
そのことは変わらないのだから。
そして私は
日本人であることに誇りを持っているのだから。


支離滅裂な終わりになりますが・・・。

兎にも角にも
千羽鶴を作ってよかった。
心からそう思います。

 
 
**おまけ話**
母と千羽鶴の話をしていたら「そーいえばね・・・」と母が話し出した。
母の母、つまり祖母の事を。
祖母は具合が悪くなり始めたとき祖父のために千羽鶴を折り始めたと。
 
「もしも、私が先に逝ってしまって、おじいちゃんが残されたら、
なーーーーんにもしてあげられないもんね。
病気になってもお世話もしてあげられない。
だからせめて元気になるようにって想いをこめておくからね。
お父さんがもし病気になった時には渡してね。」
 
 
言葉通り、祖母は祖父より先に逝きました。
きっと祖父の事を何よりも案じながら。
 
そして何年後かに祖父も逝きました。
祖母の想いに包まれて。
 
…。涙がでました。
 
いつも笑顔で明るかった祖母
無口だけど優しく包み込んでくれた祖父
 
遠い記憶の中の祖父母がふと蘇ったような気がした。
身近に感じることが出来たような気がした。
 
千羽鶴が祖父母に引き合わせてくれたような気がしました。
 


2014年2月3日月曜日

オラが島の運動会

本日2月3日
そう。節分です。
 
帰ったらちびっ子たちと節分ごっこ(?)をする予定です。
鬼の仮面もお豆も(アメちゃんを代理利用予定)も
節分の説明も昨日済ませ(伝わったかは微妙だけど)
準備万端です♪♪♪♪
 
そわそわ(ー_ー)!! 
早く帰りたい…。(←心の声m(__)m)
 
さてさて、あっという間に1月が終わっちゃいました。
1月を締めくくる大イベント
「UNDO-KAI @WENO」が
1月30日&31日の2日間行われました。
 
各島ごとに(メイン)運動会はあるのですが
WENOの運動会はここ最近の不景気で開催されるのは久々♪とのこと。
11の村が5チームに分かれて死闘を繰り広げます。
 
まじっすかっ??
って思うほど盛り上がる運動会。
島民集結の運動会。
ご覧ください♡
 
 【会場へ入場行進中】
1番気合の入っている「あか組」
わざわざ会場の一歩手前でトラックを降りて
列を組んで入場‼!!
迫力満点。
もちろん、入場行進が一番優先事項なので
車も人も一旦STOP。
【島民集結】
いつにもまして快晴の空の下。
これでもかというぐらい島民が集結!!
おかげで街はすっかすか。


 【一番の特等席は⇒木の上??】
 【いやいや、一番の特等席は⇒車の上??】
【いやいやいやいや、一番の特等席は⇒郵便局の上??】

 【WENO出身じゃなくても 気になる気になる♪】
WENO島出身者による運動会。
しかーし、気になる気になる運動会。
組ごとに分かれたてリトリー外にも人がいっぱい。
という私もその一員。
うじゃうじゃうじゃうじゃ。

【司会進行はお手のもの♪】
これが本部。
わんさか集結した島民たちをマイク一本でまとめます。
「Seni 1Kumi  Seni2Kumi(1組から 2組から」
「Kanji~(リーダー)」
「gambare~(ガンバレ)」
「kongo-rire-(コンゴウリレー)」
そうです。
統治時代の名残がたくさん。 
Undo-kai(うんどうかい)もその一つ。

【2組/青(私の村のチームです♪)】
各組テントを張って集結。揃うと迫力満点です!

【珍ユニフォームも競技のうち??】
ん?
んん? 
盛り上がるお年頃の若者の
気合満点のユニフォームを見るのも運動会の醍醐味♪
全身緑さんはっけーーーんっ!!(5組 みどり)

【珍ユニフォームも競技のうち??】
スプレー大好き若者たち自分の組のカラー足にまで♪
にしてもよい筋肉です♡(2組 おあ)

【珍ユニフォームも競技のうち??】
おやおや、髪型まで! 
よーく見てください。
剃った後にはお★様。
スプレーもふきかけています(3組 あか)

【珍ユニフォームも競技のうち??】
こちらは?
可愛いパンツ着用♡
あららら、セクシーな方もいらっしゃいます。
眼鏡も掛けてやる気満々のストレッチ(4組 きいろ)

【ユニフォーム大賞】
勝手に決めたユニフォーム大賞‼! 
⇒5組のTシャツ♪「Go Ku(イルカ)Mi」
チューク語でイルカの事を「ku」ということからデザインしたとか♡ 
可愛くてついつい5組を応援♪(←単純な私)

【ユニフォーム大賞】
別バージョン。
ちょっとおしゃれなイルカです♪
サングラスもいい感じ♪


【とにかく走る⇒運動会】
60mから(なぜに50じゃなくて60?)始まって
100m トラック1周/2周 リレー・・・・ 
とにかくとにかくよく走る。

青年の部
めっちゃ真剣‼!
オラが村の名に懸けて‼!!
というはもちろんこと。

+もうひと理由⇓⇓

実は、今年首都のあるポンペイ州で行われるマーシャル・パラオも参加の
ミクロネシアオリンピック:通称「ミクロゲーム」の選考会も兼ねているので
みんな本気。めっちゃ本気‼!
 

【みらい予備軍?!】

めっちゃ本気の青年の部に対して
ちびっ子の部は一斉スタート♡

「よーい(←こちらも名残で使われています)ぴー(ピストルないので笛利用)」で
ちびっこ達がゴール目指してかけていきます。
ガンバレガンバレ!

うーん♪
青い空にグランドには
やっぱりちびっこの一生懸命な姿が良く似合う♪

将来の主役はこのちびっこ達です♡
久々開催のWeno運動会。
チュークらしい熱気に囲まれた2日間でした。

グラウンドに座り時折混じる日本語のアナウンスを聞きながらの運動会。
幼き頃…リレーの選手で上級生と練習してドキドキした事
大玉送り(我が小学校では最終種目)が大好きだった事
組体操の練習であちこち怪我した事
行進の練習を必死にしたこと(今となっては摩訶不思議…。)
色々思い出しました・・・・。

日本の運動会とは一味もふた味も違うけど
みんなが必死に頑張って
みんながとにかく楽しんでいるは
日本もチュークも一緒。

チュークに来た先人たちが残した日本文化「運動会」
今なお、ここチュークで「運動会」が行われている事。
そのことに嬉しさを感じながら
この先もみんなが楽しめる「運動会」であって欲しいと願いながら
チュークっぽさを全身に感じた「運動会」は終了しました。

きっと、日本で運動会を見るときは
チュークの「運動会」を懐かしく感じることでしょう。