2014年2月21日金曜日

千羽鶴との日々

2014年2月17日
『チューク空襲70年追悼式典』が行われました。
 
常夏チューク(しかも乾季)にしては本当にめずらしく
一日中降り続く雨の中での式典でした。
 
FSM大統領・チューク州知事・在FSM日米両大使のスピーチには
『過去を忘れることなく、悲惨な過去を繰り返すことなく、共に明るい未来を目指していこう』
という願いが込めら、会場全体もその思いに包まれた式典となりました。
 
私は…。
 
 
式典運営準備の段階から
これまでになく『私は日本人』という事を強く意識する日々が続きました。
 
日本がチュークを統治した
日本軍がチュークにいたから攻撃された
多くの日本人が犠牲になった
多くのチューク人も犠牲になった
 
チューク人はどう思っているのだろう・・・・。
 
立場によって
考え方も思いも違う。
 
そして私は日本人。
 
どうにもならない感情がうずめく日々でした。
 
私のJOCVとしての業種も大いに関係しているのだと思います。
私の業種は『観光業』
それは
『国の光を観せること』
そう定義されている本を読んだことがあります。
 
『国の光も時には影も観せること』私はそう考えます。
そして今、まさにここチュークで『影』を見せているのかもしれません。
 
世界中からダイバーが集まる『沈船ダイビング』...。
「亡くなった人への冒涜だ」という意見を耳にするたびに、
胸にツンと突き刺さる物がありました。
 
その一方でこの負の遺産こそがチュークにとっての大きな観光資源であること
この資源をチュークの人々が生きる糧としていること
痛感しています。
そしてその過去に対してさまざまな思いを持っていることも…。 
 
チュークで過ごした2年間に感じた
さまざまな思いが交差する日々でした。
 
ふと、『千羽鶴を折ろう』
そう思いました。
 
私の混ざり合う感情は横に置いて、
 
70年前に亡くなった人々を思い
平和を願い
チュークの未来を思い
千羽鶴を折ることにしました。
 
 
【千羽鶴完成】
 


【千羽鶴に興味津々】
千羽鶴をつなげる作業中…。
どんどん膨らんでいく鶴を楽しげに見つめる
ステイ先のちびっ子

昨日は「ふーってやったらゆれたのにぃ」

【感謝】
「千羽鶴を折ろうと思う」と両親に告げたら「協力するよ!」と。
丁度、現地に送ってもらうものがあり、それが実家に到着するまでの間
両親総出で鶴を折ってくれました。

電気事情がよくなく、ステイ先での作業時間が限られている現地事情を察して
協力してくれる両親。

「お父さんが折るとよれよれの鶴になっちゃうの だから△のところまでがお父さんの担当なの」
「お母さんは 毎日必死に折っているよ。家に帰ったら目をしばしばさせてた。母は強しだね」
両親から届く経過報告のメールにほっこり。
本当に感謝。

【父の鶴】
一羽だけ送られてきた父の力作の鶴。
芸術作品のようにみえるのは、娘のひいき目でしょうか・・・。

【千羽鶴ブーム】
「なにやら陽子がやっている?!?」と
我家に起こった千羽鶴ブーム‼! 
お初にお目にかかる千羽鶴に興味津々 
家族が「SENBAZURU!!!」と口々に唱える日々が続きました。

「今何羽?」「えっとねぇ~・・・」そんな会話がエネルギー源になった日々でした。
折り紙苦手な家族ですが1羽づつ折ってもらいました♡
(苦戦しながらも・・・・‼!)

【式典当日】

【式典当日】


【式典当日】
「70年前の涙かな」と思うほどのどしゃぶりの雨の中、式典を終えました。

 
さまざまな思いが入りまじった日々を終え
ほっとしたような・・・・
抜け殻のように家に帰ったら、

チュークスタイルの「OSHIRUKO」をつくってくれていました。
ココナッツ風味のあま~いヤツ。

【チュークスタイルのおしるこ♡】

なにやら、心からほっとしました。
「OSHIRUKO」と子供たちの笑顔に心の底から安堵し
「我が家」を感じた瞬間でした。 

【ほっこりみんなでおしるこタイム】

考える事が嫌になることもあるけれど
疲れてしまう事もあるけれど
逃げるわけには行かない。

『私は日本人』
そのことは変わらないのだから。
そして私は
日本人であることに誇りを持っているのだから。


支離滅裂な終わりになりますが・・・。

兎にも角にも
千羽鶴を作ってよかった。
心からそう思います。

 
 
**おまけ話**
母と千羽鶴の話をしていたら「そーいえばね・・・」と母が話し出した。
母の母、つまり祖母の事を。
祖母は具合が悪くなり始めたとき祖父のために千羽鶴を折り始めたと。
 
「もしも、私が先に逝ってしまって、おじいちゃんが残されたら、
なーーーーんにもしてあげられないもんね。
病気になってもお世話もしてあげられない。
だからせめて元気になるようにって想いをこめておくからね。
お父さんがもし病気になった時には渡してね。」
 
 
言葉通り、祖母は祖父より先に逝きました。
きっと祖父の事を何よりも案じながら。
 
そして何年後かに祖父も逝きました。
祖母の想いに包まれて。
 
…。涙がでました。
 
いつも笑顔で明るかった祖母
無口だけど優しく包み込んでくれた祖父
 
遠い記憶の中の祖父母がふと蘇ったような気がした。
身近に感じることが出来たような気がした。
 
千羽鶴が祖父母に引き合わせてくれたような気がしました。
 


2014年2月3日月曜日

オラが島の運動会

本日2月3日
そう。節分です。
 
帰ったらちびっ子たちと節分ごっこ(?)をする予定です。
鬼の仮面もお豆も(アメちゃんを代理利用予定)も
節分の説明も昨日済ませ(伝わったかは微妙だけど)
準備万端です♪♪♪♪
 
そわそわ(ー_ー)!! 
早く帰りたい…。(←心の声m(__)m)
 
さてさて、あっという間に1月が終わっちゃいました。
1月を締めくくる大イベント
「UNDO-KAI @WENO」が
1月30日&31日の2日間行われました。
 
各島ごとに(メイン)運動会はあるのですが
WENOの運動会はここ最近の不景気で開催されるのは久々♪とのこと。
11の村が5チームに分かれて死闘を繰り広げます。
 
まじっすかっ??
って思うほど盛り上がる運動会。
島民集結の運動会。
ご覧ください♡
 
 【会場へ入場行進中】
1番気合の入っている「あか組」
わざわざ会場の一歩手前でトラックを降りて
列を組んで入場‼!!
迫力満点。
もちろん、入場行進が一番優先事項なので
車も人も一旦STOP。
【島民集結】
いつにもまして快晴の空の下。
これでもかというぐらい島民が集結!!
おかげで街はすっかすか。


 【一番の特等席は⇒木の上??】
 【いやいや、一番の特等席は⇒車の上??】
【いやいやいやいや、一番の特等席は⇒郵便局の上??】

 【WENO出身じゃなくても 気になる気になる♪】
WENO島出身者による運動会。
しかーし、気になる気になる運動会。
組ごとに分かれたてリトリー外にも人がいっぱい。
という私もその一員。
うじゃうじゃうじゃうじゃ。

【司会進行はお手のもの♪】
これが本部。
わんさか集結した島民たちをマイク一本でまとめます。
「Seni 1Kumi  Seni2Kumi(1組から 2組から」
「Kanji~(リーダー)」
「gambare~(ガンバレ)」
「kongo-rire-(コンゴウリレー)」
そうです。
統治時代の名残がたくさん。 
Undo-kai(うんどうかい)もその一つ。

【2組/青(私の村のチームです♪)】
各組テントを張って集結。揃うと迫力満点です!

【珍ユニフォームも競技のうち??】
ん?
んん? 
盛り上がるお年頃の若者の
気合満点のユニフォームを見るのも運動会の醍醐味♪
全身緑さんはっけーーーんっ!!(5組 みどり)

【珍ユニフォームも競技のうち??】
スプレー大好き若者たち自分の組のカラー足にまで♪
にしてもよい筋肉です♡(2組 おあ)

【珍ユニフォームも競技のうち??】
おやおや、髪型まで! 
よーく見てください。
剃った後にはお★様。
スプレーもふきかけています(3組 あか)

【珍ユニフォームも競技のうち??】
こちらは?
可愛いパンツ着用♡
あららら、セクシーな方もいらっしゃいます。
眼鏡も掛けてやる気満々のストレッチ(4組 きいろ)

【ユニフォーム大賞】
勝手に決めたユニフォーム大賞‼! 
⇒5組のTシャツ♪「Go Ku(イルカ)Mi」
チューク語でイルカの事を「ku」ということからデザインしたとか♡ 
可愛くてついつい5組を応援♪(←単純な私)

【ユニフォーム大賞】
別バージョン。
ちょっとおしゃれなイルカです♪
サングラスもいい感じ♪


【とにかく走る⇒運動会】
60mから(なぜに50じゃなくて60?)始まって
100m トラック1周/2周 リレー・・・・ 
とにかくとにかくよく走る。

青年の部
めっちゃ真剣‼!
オラが村の名に懸けて‼!!
というはもちろんこと。

+もうひと理由⇓⇓

実は、今年首都のあるポンペイ州で行われるマーシャル・パラオも参加の
ミクロネシアオリンピック:通称「ミクロゲーム」の選考会も兼ねているので
みんな本気。めっちゃ本気‼!
 

【みらい予備軍?!】

めっちゃ本気の青年の部に対して
ちびっ子の部は一斉スタート♡

「よーい(←こちらも名残で使われています)ぴー(ピストルないので笛利用)」で
ちびっこ達がゴール目指してかけていきます。
ガンバレガンバレ!

うーん♪
青い空にグランドには
やっぱりちびっこの一生懸命な姿が良く似合う♪

将来の主役はこのちびっこ達です♡
久々開催のWeno運動会。
チュークらしい熱気に囲まれた2日間でした。

グラウンドに座り時折混じる日本語のアナウンスを聞きながらの運動会。
幼き頃…リレーの選手で上級生と練習してドキドキした事
大玉送り(我が小学校では最終種目)が大好きだった事
組体操の練習であちこち怪我した事
行進の練習を必死にしたこと(今となっては摩訶不思議…。)
色々思い出しました・・・・。

日本の運動会とは一味もふた味も違うけど
みんなが必死に頑張って
みんながとにかく楽しんでいるは
日本もチュークも一緒。

チュークに来た先人たちが残した日本文化「運動会」
今なお、ここチュークで「運動会」が行われている事。
そのことに嬉しさを感じながら
この先もみんなが楽しめる「運動会」であって欲しいと願いながら
チュークっぽさを全身に感じた「運動会」は終了しました。

きっと、日本で運動会を見るときは
チュークの「運動会」を懐かしく感じることでしょう。